目次
背景
- XでコネクトームをReservoir Computingで移植している人がいた
- 「生物の神経結合構造を、機械学習の計算基盤として流用する」という研究分野が存在する
- これは、攻殻機動隊的な「人間の脳をまるごとサイバー化する電脳化」とは別の話ではある
- ここでは、Reservoir Computingの基本と、その延長線上にあるコネクトームベースの研究を整理した
- また、簡易的にハエのシミュレーターでハエの幼虫の脳を接続してみた
Reservoir Computing
Reservoirとは
- リザバー(reservoir)は、「貯水池」の意味
- 命名の由来は、入力された情報をいったん受け止めて、内部に複雑な状態として蓄えておく“大きな器”に近い
- 典型的な説明でも多数のニューロンがつながった内部ネットワークを「pool」や「reservoir」と呼ぶから
- Reservoir Computingにおける固定された再帰結合部分のこと
- 入力を受け取り、内部で高次元・非線形な力学系として反応させる層
- ランダムに初期化された結合を持ち、学習では一切更新されない
Reservoirの名前の由来
- リザバーコンピューティングは、次の別々に提案された枠組みをまとめられるためにつけられた
- Liquid State Machine(LSM)
- Echo State Network(ESN)
- LSMは液体に石を落としたときの波紋のように、入力が内部状態へ複雑に広がっていくイメージを持つ
- 他方、ESNは入力の影響が「echo=残響」のように内部へ残ることを表している
- 後に、こうした「入力を受け止め、時間的な情報を内部状態として保持・変換する部分」を reservoir(貯水池) と呼んだ
- そして、それらを総称して Reservoir Computing と呼ぶようになった
Reservoir Computingとは
- 内部の再帰結合(リザバー)はランダムに固定したまま、出力層の線形結合だけを学習する枠組み
- 大きく重み付き和で学習する通常のニューラルネットと違い、
- リザバー自体は学習せず、入力を高次元の非線形な力学系の軌道に変換する役割だけを担う
- 学習対象がリザバーではなく出力層の線形回帰だけになるため、通常のRNNに比べて学習コストが大幅に小さい

Reservoir Computingの源流
Reservoir Computingには、大きく2つの源流がある:
- Echo State Network(ESN):
- Herbert Jaegerが2001年に提案(
The "echo state" approach to analysing and training recurrent neural networks, GMD Report 148) - 実数値のリカレントニューラルネットをリザバーとして使う
- Herbert Jaegerが2001年に提案(
- Liquid State Machine(LSM):
- Wolfgang Maass, Thomas Natschläger, Henry Markramが2002年に提案(
Real-time computing without stable states: A new framework for neural computation based on perturbations, Neural Computation 14(11), 2531-2560) - スパイキングニューロンをリザバーとして使う、より生物学的に妥当なモデル
- Wolfgang Maass, Thomas Natschläger, Henry Markramが2002年に提案(
いずれも「リザバーは固定・訓練するのは読み出し層のみ」という設計思想は共通している。
リザバーとしての「コネクトーム」
- コネクトームとは、脳内のニューロン間の結合構造(構造的結合)を網羅的に記述したもの
- 通常のESN・LSMでは、リザバー内部の結合はランダムな行列として初期化される
- コネクトームベースのReservoir Computingは、このランダム行列の代わりに、実在の生物から得られたコネクトーム由来の結合行列をそのままリザバーの結合構造として使う、という発想
つまり「配線図をランダムに作る」代わりに「実物の脳の配線図を借りてくる」ことで、リザバーを構成する。

conn2resツールボックス
- Suárez, Mihalik, Milisav, Marshall, Li, Vértes, Lajoie, Misicによる
Connectome-based reservoir computing with the conn2res toolbox(Nature Communications, 2024, doi:10.1038/s41467-024-44900-4)が、この分野の代表的なツールキット - 束追跡(tract tracing)や拡散MRIなど、複数の手法で再構成されたコネクトームを入力として受け付けるモジュール設計
- リザバー内部のダイナミクスも、スパイキングニューロンからメムリスタ的な力学系まで、複数の選択肢を差し替えられる
- 実装されたコネクトームに、認知タスクを解かせるという形で評価する
具体的な研究例
ショウジョウバエのコネクトームを使う研究
- Jacob Morra, Mark Daleyによる
Imposing Connectome-Derived Topology on an Echo State Network(arXiv:2201.09359)- ショウジョウバエのコネクトーム由来の結合行列で、ESNのリザバー層をそのまま置き換えたモデル(Fruit Fly ESN, FFESN)を提案
- Leone Costi, Alexander Hadjiivanov, Dominik Dold, Zachary F. Hale, Dario Izzoによる
The Drosophila Connectome as a Computational Reservoir for Time-Series Prediction(Biomimetics, 2025, PMC12109256)- ショウジョウバエのコネクトームをリザバーとして、時系列予測タスクを解かせている
人間の脳のコネクトームを使う研究
Accessing the topological properties of human brain functional sub-circuits in Echo State Networks(arXiv:2412.14999)- 人間の脳の機能的結合から抽出したサブサーキットの構造をESNに組み込む研究
Using Connectome Features to Constrain Echo State Networks(arXiv:2206.02094)- コネクトームから抽出した特徴量(次数分布やモジュール性など)を、リザバーの構成に制約として使う研究
人間の完全な構造的コネクトーム(シナプスレベルの全結線図)は、2026年現在も完全なマッピングには至っていないため、人間を対象とした研究の多くは、拡散MRI由来の構造的結合や機能的結合のデータを使っている。
なぜ実際の配線構造を使うのか
- ランダムな結合と、実際の生物の結合構造とで、リザバーとしての性能(記憶容量やタスク精度)に違いが出るかを調べるのが主な動機
- 生物の脳が、進化の過程で計算に有利な結合構造を獲得してきたのかどうかを、機械学習の評価指標を使って検証できる
- 逆に、リザバーとしての性能という切り口から、コネクトームの構造そのものへの理解を深めるという、神経科学側からの動機もある
電脳化との違い
- 「電脳化」は、人間の意識・記憶をまるごとサイバネティックな基盤へ移し替えるSF的な概念
- 一方、ここで扱ったコネクトームベースのReservoir Computingは、脳の意識や記憶を移植しているわけではなく、あくまで結合構造(配線図)だけを、機械学習の計算資源として流用している
- 対象も、現状ではショウジョウバエや線虫といった、コネクトームが比較的解明されている小規模な生物が中心で、人間の全脳を対象にした研究はまだ限定的
実際にコネクトームでハエを動かしてみた
理論の紹介だけで終わらせず、実際に手元で動かして確かめてみた。
使ったデータと環境
- コネクトームには、幼虫ショウジョウバエの全脳(Winding et al. 2023, Science、2952ニューロン、約548,000シナプス)を使用
- ログイン不要で取得できる
brain-networks/larval-drosophila-connectomeというミラーリポジトリのデータをそのまま利用 - 身体側には、成体ショウジョウバエの生体力学モデルをMuJoCo上でシミュレートするflygym(NeuroMechFly v2、EPFL Ramdya lab)を使用
幼虫の脳と成体の身体を組み合わせるのは解剖学的には矛盾しているが、「まずパイプライン自体を動かす」ことを優先して割り切った。
全体の構成
- コネクトームの
annotations.csvから、sensory(感覚ニューロン)とDN-VNC(下行性ニューロン、脳から運動系への出口)を、それぞれ左右の半球ごとに取り出す - 左右の感覚ニューロンを刺激入力とし、コネクトームの結合行列をそのままリザバーとして信号を伝播させる
- 左右のDN-VNCの活動を読み出し、flygymの旋回コントローラー(
HybridTurningController)が受け取る2次元のdescending_signal(左右の駆動信号)にそのまま変換する
flyのコネクトーム

- Sensory neurons(SN)-> 脳内の interneurons -> DN^VNCという整理の図
- Sensory は、匂い・味・温度・機械刺激などを外界から脳へ持ってくる入力ニューロン
- 一方、DN^VNC は Descending Neurons to Ventral Nerve Cord の意味で、脳で処理された情報を腹側神経索(VNC)へ送り、歩行などの行動につなげる出力ニューロン
- food odor -> sensory neurons -> 幼虫の脳コネクトーム -> DN-VNC / DN-SEZ -> 仮想の身体という流れを作る
つまずいた点: スペクトル半径正規化
- 最初は、Echo State Networkの定石通り、リザバー全体のスペクトル半径を1未満(0.9)に正規化していた
- ところがこの方法だと、DN-VNCの活動がほぼゼロに埋もれてしまい、左右の刺激に対して意味のある差が全く出なかった
- 原因は、キノコ体のような密な再帰結合を持つ部分がスペクトル半径の大部分を支配していて、感覚ニューロンからDN-VNCまでの数ホップの経路の信号まで、まとめて桁違いに縮小されていたこと
そこで、各ニューロンの出力側の重み合計を一定値に正規化する方式(row normalization)に切り替えた。全体を1つの係数で縮小するのではなく、ニューロンごとに正規化することで、密な再帰部分に信号が引きずられずに、数ホップ先まで伝わるようになった。
結果: 対側性の効果
- 左の感覚ニューロンを刺激すると、左右のDN-VNCの活動はほぼ同程度(差はわずか)
- 右の感覚ニューロンを刺激すると、なぜか左側のDN-VNCの方が明確に強く反応した
- これは、昆虫の感覚運動経路が体の正中線を交差しているという、実際の解剖学とも符合する結果
もちろん、入力の強さや正規化の度合いといったパラメータは、この効果が見えるように手で調整したものであり、生理学的に検証された値ではない。それでも、実際のコネクトームの配線を信号が通った結果として、こうした対側性の効果が現れたのは興味深い。
リアルタイムで見る
- オフラインで動画として書き出す版に加えて、MuJoCoのインタラクティブビューアでリアルタイムに動きを見られる版も作った
- 最初はビューアのカメラ位置を手探りで調整していたが、地面に対してハエ本体が小さすぎてうまく合わせられなかった
- 最終的に、flygymが標準で用意している
fly.add_tracking_camera()をビューアの固定カメラとしてそのまま使う方式に切り替えたところ、一発で解決した
まとめ
- Reservoir Computingは、リザバー部分を固定し出力層だけを学習する枠組みで、Echo State Network(Jaeger, 2001)とLiquid State Machine(Maass et al., 2002)が源流
- コネクトームベースのReservoir Computingは、リザバーのランダムな結合行列を、実在の生物のコネクトーム由来の結合構造に置き換える研究分野
conn2resツールボックス(Suárez et al., 2024, Nature Communications)が代表的な実装で、ショウジョウバエや人間の脳のデータに対応している- ショウジョウバエのコネクトームをそのままリザバーとして使う研究(Morra & Daley 2022, Costi et al. 2025)や、人間の脳の機能的結合を使う研究がある
- 「電脳化」のような意識の移植ではなく、あくまで配線構造を計算基盤として借用するという話
- 実際に幼虫コネクトーム+flygymで試したところ、スペクトル半径正規化では信号が埋もれてしまい、row normalizationに切り替えることで、左右刺激に対する対側性の効果が観察できた
参考文献
- Jaeger, H. (2001). “The ’echo state’ approach to analysing and training recurrent neural networks.” GMD Report 148.
- Maass, W., Natschläger, T., Markram, H. (2002). “Real-time computing without stable states: A new framework for neural computation based on perturbations.” Neural Computation, 14(11), 2531-2560.
- Suárez, L.E., Mihalik, A., Milisav, F., Marshall, K., Li, M., Vértes, P.E., Lajoie, G., Misic, B. (2024). “Connectome-based reservoir computing with the conn2res toolbox.” Nature Communications, 15. doi:10.1038/s41467-024-44900-4
- Morra, J., Daley, M. (2022). “Imposing Connectome-Derived Topology on an Echo State Network.” arXiv:2201.09359
- Costi, L., Hadjiivanov, A., Dold, D., Hale, Z.F., Izzo, D. (2025). “The Drosophila Connectome as a Computational Reservoir for Time-Series Prediction.” Biomimetics. PMC12109256
- “Accessing the topological properties of human brain functional sub-circuits in Echo State Networks.” arXiv:2412.14999
- “Using Connectome Features to Constrain Echo State Networks.” arXiv:2206.02094
- Winding, M. et al. (2023). “The connectome of an insect brain.” Science, 379(6636), eadd9330.
- Wang-Chen, S. et al. (2024). “NeuroMechFly v2: simulating embodied sensorimotor control in adult Drosophila.” Nature Methods. doi:10.1038/s41592-024-02497-y
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