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Longtermismと個人のインパクトの計算

目次

背景

  • 広大な宇宙の中で、1人の人間が現実的に持ちうる影響力はどれくらいのものか、桁で把握しておきたくなった
  • 宇宙の広さ、遺伝的な希釈、人類史の長さという3つの軸で、まず素朴に「1人の存在の小ささ」を計算する
  • 次に、Longtermism(長期主義)という考え方が、この素朴な計算とは全く違う角度から個人の影響力を評価していることを整理する
  • 最終的に、この2つの計算がなぜこれほど違う結論に至るのかをまとめる

宇宙の広さ

観測可能な宇宙には、以下の規模の天体が存在すると見積もられている。

  • 銀河の数はおよそ2兆個(Conselice et al. 2016の推定。ただし後年の夜空の暗さの測定からはやや過大評価の可能性も指摘されており、確定した数字ではない)
  • 1つの銀河系に含まれる恒星の数は、天の川銀河の場合でおよそ4,000億個
  • 銀河ごとの規模のばらつきを考慮した観測可能な宇宙全体の恒星数の見積もりは、およそ$10^{22}$〜$2\times10^{24}$個の範囲で、$10^{23}$個程度がよく引用される中心的な値
  • これは日本語の命数法では「垓($10^{20}$)」1つ上の「秭($10^{24}$)」との間に当たり、具体的には「千垓」程度の規模になる
  • ここにさらに、恒星ごとの惑星・準惑星・衛星が数個ずつ付随するため、天体の総数としてはこれよりさらに1〜2桁大きくなる

つまり、地球という1つの惑星は、天体の総数から見て天文学的に無視できる分母の中の1つに過ぎない。

遺伝的な希釈

ある人間が、子孫の中にどれだけ「残る」のかを計算してみる。

  • ヒトのゲノムはおよそ30億塩基対($3\times10^9$塩基対)
  • 有性生殖では、親の遺伝情報のおよそ半分だけが子に受け継がれる
  • したがって、ある祖先1人分の遺伝的な寄与は、世代を経るごとに約$\frac{1}{2}$倍に希釈されていく

何世代で、期待値として1塩基対も残らなくなるかは、以下の式で求まる。

$$ n = \log_2(3\times10^9) \approx 31.5 $$
  • つまり、およそ32世代でゲノム上の期待値としての寄与が1塩基対を下回る
  • 1世代を25〜30年とすると、32世代はおよそ800〜950年に相当し、「1000年後には確率的にほぼ残っていない」という見積もりはおおむね妥当
  • ただし、これは常染色体(有性生殖で組み換わる部分)の話で、Y染色体(父系)とミトコンドリアDNA(母系)は組み換えを経ずにほぼそのまま受け継がれるため、単系の系統をたどれば非常に長く残り得るという例外がある

利己的な遺伝子とミーム

遺伝子というチャネルだけが、一人の人間の存在を後世に伝える手段ではない。

  • Richard Dawkinsは1976年の著書The Selfish Gene(利己的な遺伝子)で、生物進化の主体を個体ではなく遺伝子そのものとして捉え直した
  • 同書の最終章で、Dawkinsは遺伝子と同じように自己複製し、選択にさらされる情報の単位として「ミーム(meme)」という概念を提唱した
  • ミームとは、アイデア・旋律・流行・技術・数式など、模倣によって人から人へ伝わる文化的な情報の単位
  • 遺伝子が生殖を通じて世代を超えて伝わるのに対し、ミームは生殖を必要とせず、会話・書物・教育を通じて伝わる

具体例として、アイザック・ニュートンが挙げられる。

  • ニュートンは生涯独身で、子孫を残していない
  • 前述の遺伝的な希釈の計算で言えば、ニュートンの遺伝的な寄与はそもそも0世代目から存在しない
  • しかし、ニュートンが定式化した運動の法則や微積分は、340年以上経った現在も学校教育の中で日常的に教えられ、複製され続けている
  • つまり、遺伝子というチャネルでの伝達がゼロであっても、ミームというチャネルでの伝達は、桁違いに長く、広く続きうる

このミームという発想は、後述するLongtermismの立場とも響き合う。どちらも、個人の影響力を「遺伝的な痕跡」ではなく、「情報・アイデアが以後にどれだけ複製され、伝播し続けるか」という、別のものさしで測ろうとしている点で共通している。

時間的なスケール

人類の歴史と、地球に残された時間を比較する。

  • 現生人類(Homo sapiens)の歴史は、2017年のジェベル・イルード遺跡の化石発見によって、従来考えられていた約20万年から、およそ30万年前まで遡ることが分かってきている
  • 猿人・原人まで含めた人類(ヒト族)の系統全体で見れば、その起源はさらに数百万年前まで遡る
  • 一方、地球が複雑な生命にとって居住可能であり続ける残り時間については、太陽光度の増加によって二酸化炭素濃度が低下し、複雑な陸上生物が絶滅すると考えられている
  • 従来はこれをおよそ10億年後と見積もっていたが、2024年の研究では、ケイ酸塩風化の温度依存性を見直した結果、複雑な生物圏の寿命は最大で16億〜18.6億年ほど残っているという、より楽観的な見積もりも示されている
  • 最終的な限界は「湿潤温室状態」(太陽光度の増加で海洋が蒸発し、大気中の水を失う状態)で、これはさらに先の話になる

つまり、人類がこれまで存在してきた時間(数十万年)は、地球にまだ残されている時間(10億年オーダー)と比べても、桁違いに短い。

太陽系そのものの寿命

生命の居住可能性とは別に、太陽・地球という天体そのものがいつまで存在し続けるのかも見ておく。

  • 太陽は現在およそ46億歳で、主系列星としての寿命は全体でおよそ100億年と見積もられている。つまり主系列星としての残り時間はおよそ50億年
  • 今から約75.9億年後、太陽は赤色巨星となり、現在の256倍の半径まで膨張すると計算されている(Schröder & Connon Smith, 2008)
  • この過程で太陽は質量の3分の1近くを失い、その分惑星の軌道は外側へ広がるが、Schröder & Connon Smithの計算では、太陽の自転が遅くなることで生じる潮汐バルジが地球を引き寄せ、結局は地球ものみ込まれると結論づけている。ただしNordhaus et al.(2010)など、条件次第で地球が生き残るとする異なる計算もあり、決着はついていない
  • 太陽はその後、外層を惑星状星雲として放出し、白色矮星になる。生き残った惑星の軌道半径は、この質量放出でおよそ2倍に広がる
  • およそ100億〜300億年後には、通りすがりの恒星の重力の影響で、残った惑星の軌道が不安定化し、木星以外のほとんどの惑星が弾き飛ばされると見積もられている
  • さらに1000億年ほど経つと、別の恒星の接近によって木星も太陽系から失われる
  • 白色矮星となった太陽自体は、$10^{14}$〜$10^{15}$年(100兆〜1000兆年)かけて冷え切り、可視光をほとんど発しない暗い天体になる
  • さらに$10^{17}$〜$10^{19}$年のスケールでは、太陽(の残骸)は天の川銀河からも弾き出されると考えられている

つまり、生命が居住できなくなる時間(10億年オーダー)と、天体としての太陽系そのものが完全に消え去るまでの時間($10^{14}$年以上)の間には、さらに5桁以上の開きがある。

素朴な計算: 1人の人間の「シェア」

ここまでの3つの軸を使い、1人の人間が宇宙・時間の中で占める「シェア」を素朴に掛け合わせてみる。

  • 空間的シェア: 地球という1惑星 ÷ 恒星系の総数($10^{23}$)程度 $\approx 10^{-23}$
  • 個体としてのシェア: 現在の世界人口(約80億人)、あるいはこれまでに生きた人類の総数(推定約1,170億人)のうちの1人 $\approx 10^{-11}$
  • 時間的シェア: 1人の人生の長さ(約80年)÷ 地球に残された複雑生命の時間(約10億〜18億年) $\approx 10^{-7}$

これらを単純にかけ合わせると、以下のようになる。

$$ 10^{-23} \times 10^{-11} \times 10^{-7} = 10^{-41} $$

つまり、素朴に「宇宙・人類・時間の中でのシェア」として計算すると、1人の人間の存在は$10^{-41}$オーダーという、ほとんど意味を持たないほど小さな数字になる。遺伝的な希釈計算が示すように、直接の生物学的な痕跡ですら1000年程度で統計的にゼロへ向かう。

Longtermismという視点

ところが、この素朴な計算とは全く異なる角度から個人の影響力を評価する立場がある。Longtermism(長期主義)と呼ばれる考え方で、Oxford大学のWilliam MacAskillとToby Ordが名付け、Nick Bostromが2005年に設立したFuture of Humanity Instituteの実存的リスク研究にルーツを持つ。

  • Longtermismの主張: 今日の行動の価値を決める最も重要な要因は、その行動が超長期の未来にどう影響するかである
  • 実存的リスク(existential risk): 人類の長期的な可能性そのものを破壊してしまうリスクのことで、絶滅だけでなく、技術的・社会的な停滞や、回復不能な社会の崩壊、ディストピア化なども含まれる
  • Toby Ordは著書The Precipice(2020年)で、今世紀中に人類が実存的破局を迎える確率を6分の1(約16.7%)と見積もっている。これは自然災害由来のリスクではなく、主に人間自身が生み出す技術的リスク(特に制御されないAI)によって占められているとされる

Longtermismが重視するのは、この極めて高いリスクが存在する現在という時代に、そのリスクをわずかでも下げる行動が持つ期待値の大きさ。

Bostromの「天文学的損失」という視点

Nick Bostromは2003年の論文Astronomical Waste: The Opportunity Cost of Delayed Technological Developmentで、人類が実存的リスクを乗り越えて宇宙に進出した場合の潜在的な人口を試算している。

  • おとめ座超銀河団に、1つの恒星系あたり平均100億人が住めると仮定すると、生物学的な人間だけで$10^{23}$人が生存可能になる
  • さらに範囲を全宇宙・全未来に広げると、生物学的な人間だけで少なくとも$10^{35}$人、デジタル化された意識(mind upload)まで許容すれば$10^{58}$人分の生存が可能になるという試算も示されている

つまり、もし人類が実存的リスクを乗り越えて存続し続ければ、これまでに生きてきた人類の総数(約1,170億人、$10^{11}$人程度)など比較にならないほど巨大な数の未来の人々が存在しうることになる。

具体的な試算: 期待値としてのインパクト

ここでLongtermismの核心的な論理が出てくる。1人の人間の影響力を「宇宙・時間の中でのシェア」として掛け算するのではなく、「実存的リスクをどれだけ下げたか」×「その結果として存続する未来の大きさ」という期待値で捉え直す。

例えば、ある人物が実存的リスク研究に一生を捧げ、Ordの見積もる今世紀の実存的リスク(6分の1)を、100万分の1($10^{-6}$)だけ下げることに貢献できたと仮定する。

$$ 10^{-6} \times \frac{1}{6} \times 10^{35} \approx 1.7\times10^{28} $$

この期待値としての「救われる可能性のある未来の人生の数」は、これまでに生きてきた人類の総数(約$10^{11}$人)を17桁も上回る。つまりLongtermismの立場では、1人の人間の実存的リスクへの限界的な貢献は、素朴な「宇宙の中でのシェア」計算とは正反対に、天文学的に大きな期待値を持ちうることになる。

3つの計算が食い違う理由

  • 素朴な計算は「ある人間が宇宙・時間の中でどれだけの割合を占めるか」という、静的な分母に対するシェアを問うもの
  • Longtermismの計算は「ある人間の行動が、存続するかどうか不確定な巨大な未来を、どれだけの確率で存続させる方向に動かすか」という、限界的な因果効果を問うもの
  • ミームの視点は「遺伝子というチャネルを経由しなくても、情報・アイデアそのものが複製され続ける」という、そもそも掛け算の対象になる分母自体が別物であることを示すもの
  • 素朴な計算ではある人間の取り分が掛け算されて小さくなっていくのに対し、Longtermismでは変えられる未来の大きさそのものが掛け算されて大きくなっていく
  • 遺伝的な痕跡という意味では、1人の人間は1000年でほぼ消え去る。しかし、ニュートンの例が示す通り、ミームとしての伝達や、人類全体の存続確率への影響は、遺伝的な痕跡の有無とは無関係に、以後の全ての未来に伝播し続ける

注意点

  • ここで示した数字はいずれも、前提の置き方次第で何桁も変動しうるFermi推定(概算)であり、厳密な予測ではない
  • Longtermismそのものも議論のある立場で、遠い未来の期待値の大きさを理由に現在の具体的な苦しみへの対処を軽視しうる、という批判が哲学者・ジャーナリストの双方から出されている
  • Bostromの試算も、人類が実際に宇宙進出を果たし、かつ実存的リスクを回避し続けるという、極めて不確実な前提の上に成り立っている

まとめ

  • 宇宙の広さ・遺伝的な希釈・地球に残された時間という3つの軸で素朴に計算すると、1人の人間のシェアはおよそ$10^{-41}$という、ほぼ意味を失うほど小さな数字になる
  • 遺伝的な痕跡に限れば、1人の人間の直接的な寄与は1000年程度で統計的にゼロに近づく
  • しかしDawkinsのミーム概念とニュートンの例が示す通り、遺伝子というチャネルがゼロでも、アイデアという別のチャネルでの伝達ははるかに長く続きうる
  • Longtermismの立場では、実存的リスクへの限界的な貢献という別の掛け算により、1人の人間の期待値としての影響力は、これまでに生きてきた全人類の総数すら大きく上回りうる
  • どれが「正しい」かではなく、「1人の存在の意味をどう測るか」という問いに対して、静的なシェアで測るか、情報の複製として測るか、動的な因果効果で測るかという、全く異なる複数のものさしが存在するということ自体が、この計算の一番面白いところ

参考文献

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