目次
背景
- it from bit. 非常に響きがいいしかっこいい言葉なので気に入っていた
- これはブラックホールの名称提案者としても知られる、理論物理学者のジョン・アーチボルド・ウィーラーの言葉
- モノではなくビット、情報があらゆるものの根底にあるという考え方
- しかしそれ以上の意味を全く理解していないし、少し気になっていた
- そこでAIに解説してもらったので、暇な時に改めて理解するために書き残す
Wheelerの主張: It from Bit
- Wheelerは1989年の講演、および1990年刊行の論文
Information, Physics, Quantum: The Search for Linksで、粒子・力場・さらには時空そのものまでもが、究極的にはyes/noの問いに対する答え、つまりbitに由来するのではないかと述べた - It(物理的実在、粒子・物体・場・時空など)とBit(区別・情報、0/1やyes/noという観測によって得られる情報)という対応で捉える
- つまり「物理的なものは、情報的な区別から生じる」という主張
- 注意が必要なのは、これは「宇宙はPCの0と1でプログラムされている」という単純なデジタル宇宙論ではないという点。背景にあるのは、量子力学における測定という行為
量子力学における測定と参加型宇宙
古典物理的な発想では、電子には最初から位置や運動量という客観的な属性が存在していて、観測者はそれを単に読み取るだけだと考えたくなる。しかし量子力学では、そう単純ではない。
- 例えばスピンを測定すると、↑か↓のどちらかが得られる
- これは、自然に「上ですか?」という問いを投げかけ、Yes/Noという回答を得ているとも解釈できる
- Wheelerはここから、「物理世界→測定→情報が得られる」ではなく、「問い→Yes/No→情報→物理的リアリティ」という逆向きの順序を提案した
Wheelerはこの考え方を「participatory universe(参加型宇宙)」と呼んだ。観測者は完成済みの宇宙を外から眺めているだけの存在ではなく、観測という行為そのものが物理的リアリティの成立に関わっている、という発想。
20 Questionsのたとえ
Wheelerが自身の講演で好んで使ったたとえ話に、「サプライズ版20の質問」がある。
- 普通の20の質問ゲームでは、答え(例えば「ゾウ」)が最初から決まっていて、質問者はYes/Noの質問を重ねてそれを絞り込んでいく
- 一方Wheelerのサプライズ版では、最初に答えを決めない。質問されるたびに、それまでの回答と矛盾しないように、その場でYes/Noを答えていく
- それでも、最後には一貫した1つの答え(「ゾウだった」)が成立する
普通の科学観では「答えが最初からある→質問によって発見する」という順序になるが、このサプライズ版では「情報の積み重ね→現実」という順序になる。これがWheelerの参加型宇宙の直感に近い。
Max Moreの人間観との接続
ここでExtropianやトランスヒューマニストの一部が重視する人間観とのつながりが見えてくる。
- 人間を特定の原子の集合体としてではなく、情報パターンとして捉える見方
- 脳を構成している原子そのものは時間とともに入れ替わるが、それでも「あなた」は継続していると感じられる
- だとすれば本質的なのは物質そのものではなく、神経細胞の結合・シナプス強度・記憶・情報処理構造といった、動的なパターンなのではないか
以下のように整理できる。
$$ \text{It from Bit(情報→物理的実在)} \;\Rightarrow\; \text{情報的人間観(人格}\approx\text{情報パターン)} \;\Rightarrow\; \text{Cryonics(パターンを保存できれば未来に再構築できるかもしれない)} $$ただし、Wheeler自身がcryonicsを主張していたわけではなく、It from Bitが正しければcryonicsが成功するという論理的な関係もない。あくまで「物質より情報パターンの方が本質的なのではないか」という、似た哲学的直感が両者にあるというだけの話。
ブラックホールの情報量は体積ではなく面積で決まる
20〜21世紀の物理学では、この直感は単なる哲学に留まらず、具体的な数式を伴う研究テーマになっていった。その最初の異変が、ブラックホールのエントロピーに関するBekenstein-Hawkingの関係式。
- 普通に考えれば、ある領域にどれだけ情報を詰め込めるかは体積に比例しそうに思える
- ところがブラックホールでは、保持できる情報量(エントロピー)が体積ではなく事象の地平面の面積に比例することが分かった
以下の式で表される。
$$ S_{\rm BH} = \frac{k_B c^3 A}{4 G \hbar} $$- $S_{\rm BH}$: ブラックホールのエントロピー
- $A$: 事象の地平面の面積
- $k_B$: ボルツマン定数
- $c$: 光速
- $G$: 重力定数
- $\hbar$: ディラック定数
Wheeler自身も、It from Bitを説明する際にこのブラックホールの表面積と情報量の関係を重要な例として挙げている。
3次元領域の情報が2次元の境界の面積で数えられてしまうというこの事実が、次のホログラフィック原理への入口になった。
ホログラフィック原理
- ホログラフィックとは、光の干渉と回折を利用して、物体の3次元像(立体)を記録・再生する技術(ホログラフィー)や、その状態・性質を表す言葉
- 1993年、Gerard ’t Hooftは、3次元領域内部の自由度が2次元境界面上の自由度として記述できるのではないかという発想を提示した
- 1994年、Leonard Susskindは論文
The World as a Hologramでこれを発展させた - 「ホログラム」という名前は、通常のホログラムも2次元のフィルムに3次元像の情報が記録されていることに由来する
- 重要なのは「宇宙が偽物の映像である」という意味ではなく、異なる次元の2つの理論が、同じ物理情報を完全に表現できるかもしれないという点

AdS/CFT対応
1997年、Juan Maldacenaが物理学史上でも特に影響力の大きい論文の1つを発表した。AdS/CFT(Anti-de Sitter / Conformal Field Theory correspondence)対応と呼ばれるもので、以下のように表される。
$$ \text{Gravity in AdS}_{d+1} \;=\; \text{CFT}_{d} $$- 左辺は、重力を含む$(d+1)$次元の空間(Anti-de Sitter空間)
- 右辺は、重力を含まない、1次元少ない量子場理論(Conformal Field Theory)
- これは単なる近似ではなく、両者が同じ量子系を別の言語で記述していると考えられている
つまり、時空・重力・ブラックホールを含む内部の記述と、量子状態・相関・情報からなる境界の記述が、数学的に等価だということになる。ここでIt from Bitが急に具体的な形を帯びてくる。

たとえば有名な例では、5次元の AdS空間の重力理論と、4次元の量子場理論が等価だとされるということ。
Ryu-Takayanagi公式: 量子もつれと幾何学
AdS/CFTが正しいとして、境界の量子情報からどうやって空間の距離や広がりが出てくるのかという疑問が残る。この問いに対して2006年、Shinsei RyuとTadashi Takayanagi(高柳匡)が以下の関係式を発見した。
$$ S_A = \frac{\mathrm{Area}(\gamma_A)}{4 G_N} $$- 左辺の$S_A$は、境界上のある領域$A$の量子もつれエントロピー(純粋に量子情報理論の量)
- 右辺の$\mathrm{Area}(\gamma_A)$は、AdS内部にある、境界の領域$A$に対応する最小曲面の面積(幾何学的な量)
つまり、量子情報の量が幾何学的な面積と等しいという関係になる。境界上の量子もつれの構造さえ分かれば、内部の幾何学的な広がりが決まるということを意味する。
Van Raamsdonk: entanglementが時空をつなぐ
2010年、Mark Van Raamsdonkは論文Building up spacetime with quantum entanglementで、この考え方をさらに鮮明にした。
- 2つの量子系が強くもつれている場合、対応するAdS側ではその2つがつながった1つの時空として表現される
- もつれを弱くしていくと、対応する時空はだんだん細くなっていく
- もつれをゼロに近づけると、時空そのものが2つに切断される方向に進む
このことからVan Raamsdonkは、古典的に連結した時空が出現するためには、量子自由度同士のもつれが本質的に必要だと論じた。「quantum entanglement is the glue that holds spacetime together(量子もつれは時空を接着する糊である)」という表現がよく使われる。より正確には、もつれの量だけでなくその構造全体が、距離・曲率・面積・接続性といった空間の幾何学を符号化しているという理解になる。
テンソルネットワークで直感的に見る
- Brian Swingleは、この考え方をテンソルネットワークという道具と結びつけた
- 量子状態を、どの自由度がどれだけ情報的に結びついているかを表すネットワーク構造として表現すると、そのネットワーク自体が高次元空間のように見えてくる
- ネットワーク上で「何本の線を切れば特定の領域を切り離せるか」を数えると、Ryu-Takayanagiの面積則によく似た関係が出てくる
- この対応から、量子情報のネットワークそのものが空間なのではないかというイメージが、より具体的になる

重力もentanglementから?
一般相対論では、以下のEinstein方程式によって物質・エネルギーが時空を曲げることが記述される。
$$ G_{\mu\nu} + \Lambda g_{\mu\nu} = 8\pi G T_{\mu\nu} $$- Faulkner, Guica, Hartman, Myers, Van Raamsdonk(2014年)は、境界CFTの量子もつれエントロピーに関する関係(もつれエントロピーの「第一法則」)を使うと、一定の条件下で線形化されたEinstein方程式を導けることを示した
- つまり、量子情報の整合性からもつれエントロピー、幾何学、Einstein方程式、重力という流れが見えてくる
- これは、重力が基本的な力ではなく、量子情報の集合的なふるまいなのではないかという研究方向につながっている
現代版It from Bitは「It from Qubit」
Wheelerのbitは単純なYes/No、0/1だったが、現代の量子情報理論の基本単位はqubitになる。
$$ |\psi\rangle = \alpha|0\rangle + \beta|1\rangle $$- qubitの最大の特徴はentanglementを持てること
- そのため、現代的にはIt from Bitより「It from Qubit」の方が実態に近い(実際、この名前を冠した研究者コミュニティも存在する)
- qubit→entanglement→量子情報構造→幾何学→時空→重力→物質という流れが、現代版のIt from Bitに相当する
時空は量子誤り訂正コードかもしれない
AdS/CFTには、もう1つ奇妙な現象がある。内部の同じ情報を、境界の複数の異なる領域から復元できることがあるという点。量子力学にはno-cloning theorem(情報を複製できないという定理)があるため、これは単純な情報のコピーではありえない。
- 2014年ごろから、Almheiri, Dong, Harlowらの研究により、AdS/CFTそのものが量子誤り訂正コードのように働いているという理解が発展した
- 内部のある1点の情報が、境界の特定の1つのqubitにではなく、境界全体に非局所的に符号化されているため、境界の一部を失っても内部の情報を復元できる
- 後の研究(Dong, Harlow, Wall、2016年)では、entanglement wedge内の内部の演算子を、対応する境界領域から再構成できることがより精密に示されている
まとめ
- Wheelerが1980年代末に提示したIt from Bitは、物理的実在が情報的な区別から成立するのではないかという発想
- 背景には量子力学の測定と、Wheeler自身が「参加型宇宙」と呼んだ考え方がある
- ブラックホールのエントロピーが体積でなく面積に比例するという事実から、ホログラフィック原理、AdS/CFT対応、Ryu-Takayanagi公式、Van Raamsdonkの議論へと、この直感は現代物理学の具体的な研究テーマへと発展してきた
- 現代的には、量子もつれ(entanglement)から幾何学・時空・重力が創発するのではないかという研究方向があり、「It from Qubit」と呼ばれることもある
- ただし、これらの結果が強く成立しているのはAdS/CFTのような特殊なホログラフィック量子重力理論の中であり、我々の宇宙(de Sitter的な時空に近い)で同様のことが成り立つと証明されたわけではない
- とはいえ、少なくとも一部の整合的な量子重力理論では、時空の幾何学と量子情報が同じものの異なる表現であるというところまでは、具体的な数式で理解されている
- Max Moreのcryonicsの発想とは論理的なつながりはないが、「物質を構成している原子そのもの」と「その物体をその物体たらしめている情報構造」のどちらが本質的なのかという問いは、両者に共通する哲学的な核になっている
参考文献
- Wheeler, J.A. (1990). “Information, Physics, Quantum: The Search for Links.” In Complexity, Entropy, and the Physics of Information.
- Do Our Questions Create the World? - Scientific American
- Bekenstein, J.D. (1973). “Black Holes and Entropy.” Physical Review D.
- ’t Hooft, G. (1993). “Dimensional Reduction in Quantum Gravity.” arXiv:gr-qc/9310026
- Susskind, L. (1994). “The World as a Hologram.” arXiv:hep-th/9409089
- Maldacena, J. (1997). “The Large N Limit of Superconformal Field Theories and Supergravity.” arXiv:hep-th/9711200
- Ryu, S. & Takayanagi, T. (2006). “Holographic Derivation of Entanglement Entropy from AdS/CFT.” arXiv:hep-th/0603001
- Van Raamsdonk, M. (2010). “Building up spacetime with quantum entanglement.” arXiv:1005.3035
- Swingle, B. (2012). “Constructing holographic spacetimes using entanglement renormalization.” arXiv:1209.3304
- Faulkner, T., Guica, M., Hartman, T., Myers, R.C., Van Raamsdonk, M. (2014). “Gravitation from entanglement in holographic CFTs.” arXiv:1312.7856
- Almheiri, A., Dong, X., Harlow, D. (2014). “Bulk Locality and Quantum Error Correction in AdS/CFT.” arXiv:1411.7041
- Dong, X., Harlow, D., Wall, A.C. (2016). “Reconstruction of Bulk Operators within the Entanglement Wedge in Gauge-Gravity Duality.” arXiv:1601.05416
- Holographic universe theory: why some physicists believe we’re living in a giant hologram | Vox
- 日経サイエンスのサイトより
- 量子力学におけるウィーラーの参加型宇宙|Masahiro Hotta
- 長期主義 - Wikipedia
