背景
- 黄金比は、美術・建築・人体比率などへの応用がしばしば語られる数だが、その多くは経験的な主張であり、検証が難しいものも多い
- ここではそうした応用の話ではなく、黄金比そのものが数学的にどれだけ特異な性質を持っているかに絞って整理する
- 結論を先に言うと、黄金比は「最も単純な自己相似の比」であり、同時に「最も無理数らしい無理数」でもあるという、2つの意味で際立った数
定義: 自己相似な分割
- 線分を2つに分け、長い方を$a$、短い方を$b$とする
- 「全体と長い部分の比」が「長い部分と短い部分の比」に等しくなるように分けたとき、その比を黄金比と呼ぶ
$$
\frac{a+b}{a} = \frac{a}{b}
$$- この比を$\varphi = a/b$とおくと、左辺は$1+b/a = 1+1/\varphi$なので
$$
\varphi = 1 + \frac{1}{\varphi}
$$- 両辺に$\varphi$を掛けると、次の2次方程式が得られる
$$
\varphi^2 = \varphi + 1
$$$$
\varphi = \frac{1+\sqrt{5}}{2} \approx 1.6180339887\ldots
$$- なので、a=2.618, b=1.618で成り立つということ
$$
\frac{1.618+1}{1.618} =\frac{2.618}{1.618} \approx 1.618
$$黄金比を特徴づける代数的な性質
$\varphi^2=\varphi+1$という関係式だけから、他の多くの性質が導ける。
$$
\varphi = 1 + \frac{1}{\varphi}
$$$$
1 = \frac{1}{\varphi} + \frac{1}{\varphi^2}
$$- これらから、$1/\varphi = \varphi - 1 \approx 0.6180339887\ldots$であることも分かる。つまり黄金比の逆数は、黄金比そのものから1を引いた値に一致する
- さらに$\varphi^n = \varphi^{n-1} + \varphi^{n-2}$という漸化式も成り立つ。これはフィボナッチ数列と同じ加法構造で、後述のフィボナッチ数列との関係につながる
連分数表現: 最も単純な無理数
- $\varphi = 1 + 1/\varphi$という関係式は、右辺の$\varphi$にもう一度同じ式を代入できる
$$
\varphi = 1 + \cfrac{1}{1 + \cfrac{1}{1 + \cfrac{1}{1 + \cdots}}}
$$- これは、全ての項が1である連分数という、連分数の中で最も単純な形
- 他の無理数の連分数は項の値がばらつく(例えば円周率$\pi$の連分数は$[3;7,15,1,292,\ldots]$のように不規則)のに対し、黄金比だけがこの最も単純な形を持つ
- 使われている数字はほぼ「1」だけなのに、結果は$(1+\sqrt5)/2$という、有限小数では書き切れない数になる。有限の記号の単純な反復から、無限に続く数が生まれるというギャップ自体に、この表現の面白さがある
連分数の中の自己相似性
- $\varphi=1+1/\varphi$という式は、無限連分数の「尻尾」をどこで切っても、またそれ自体が$\varphi$になっているということを表している
- 図形ではなく数式の中に、フラクタルのような自己相似構造が現れている、と捉えることもできる
途中で打ち切るとフィボナッチ数列が現れる
- 無限に続く連分数を途中で打ち切ったものを、収束値(convergent)と呼ぶ
- $\varphi=[1;1,1,1,\ldots]$を順番に打ち切っていくと、次のような分数の列になる
$$
1,\quad 2,\quad \frac{3}{2},\quad \frac{5}{3},\quad \frac{8}{5},\quad \frac{13}{8},\ \ldots
$$- 分子・分母に並んでいるのは、いずれもフィボナッチ数。つまり$n$番目の収束値はちょうど$F_{n+1}/F_n$になっている
- 小数に直すと、次のように黄金比へ近づいていく様子が見える
$$
1,\ 2,\ 1.5,\ 1.6666\ldots,\ 1.6,\ 1.625,\ \ldots \ \longrightarrow\ 1.6180339887\ldots
$$- 無限連分数という1つの対象を、打ち切り方を変えて覗くと、整数の列・フィボナッチ数列・黄金比という、別々に見える3つの話が1本につながる
連分数は最良の有理数近似を与える
- 連分数の収束値は、単なる途中計算の産物ではなく、「その無理数に対する最良の有理数近似」になっているという一般的な定理が知られている
- ある無理数$\alpha$の連分数の収束値$p_n/q_n$は、分母が$q_n$以下のどんな分数よりも$\alpha$に近い
- つまり連分数は、「この無理数を分数で近似するなら、どの分数を選ぶのが最善か」という問いに、そのまま答えを与えてくれる表現になっている
周期的な連分数と二次無理数
- 連分数には、もう一つ驚くべき対応がある。ある実数の連分数展開が、ある点から先で同じ数字の並びを繰り返す(周期的になる)ことと、その数が二次方程式の解である無理数(二次無理数)であることは、ちょうど同値になる(Lagrangeの定理)
- 例えば$\sqrt2$の連分数は、次のように2だけが無限に繰り返される
$$
\sqrt2 = [1;\overline{2}] = 1+\cfrac{1}{2+\cfrac{1}{2+\cfrac{1}{2+\cdots}}}
$$- 小数表示では$\sqrt2=1.41421356237\ldots$と数字が規則性なく並んでいるように見えるが、連分数にすると$[1;\overline2]$というごく短い形に畳み込まれる
- 黄金比の場合は、繰り返される数字がさらに単純な1だけになる
$$
\varphi = [1;\overline{1}]
$$- 周期的な連分数を持つ数の中でも、黄金比は周期の中身が最も単純(1のみ)という、極限的な位置にある数
- 小数展開が数の「表面」だとすれば、連分数はその数の背後にある代数的な構造、いわば「骨格」を直接見せてくれる表現と言える
最も無理数らしい無理数
- 連分数の項が小さいほど、その無理数は有理数で近似しにくいことが知られている(Hurwitzの定理に代表されるディオファントス近似の理論)
- 任意の無理数$\alpha$に対して、以下を満たす有理数$p/q$が無限に存在する
$$
\left|\alpha - \frac{p}{q}\right| < \frac{1}{\sqrt{5}\,q^2}
$$- この$\sqrt{5}$という定数はこれ以上大きくできない最善の定数であり、黄金比$\varphi$はその境界がちょうど達成される(改善できない)唯一の同値類に属する無理数
- つまり黄金比は、有理数による近似が理論上最も難しい無理数であり、連分数の項が全て1という最も単純な形であることの、裏返しの帰結でもある
フィボナッチ数列との関係
- フィボナッチ数列は$F_1=F_2=1$、$F_{n}=F_{n-1}+F_{n-2}$で定義される
$$
1,\ 1,\ 2,\ 3,\ 5,\ 8,\ 13,\ 21,\ 34,\ 55,\ 89,\ 144,\ldots
$$- 隣り合う項の比$F_{n+1}/F_n$は、$n$が大きくなるにつれて黄金比に収束する。これは前述の連分数の収束値がフィボナッチ数の比そのものだったことと、表裏一体の事実
- 正確な一般項は、Binetの公式として知られている
$$
F_n = \frac{\varphi^n - \psi^n}{\sqrt{5}}, \qquad \psi = \frac{1-\sqrt{5}}{2} = -\frac{1}{\varphi}
$$- $\psi$の絶対値は1より小さいため、$n$が大きくなると$\psi^n$は0に近づき、$F_n$は$\varphi^n/\sqrt{5}$にほぼ比例して増加する
黄金長方形と自己相似性
- 縦横比が$\varphi:1$の長方形(黄金長方形)から、短辺を1辺とする正方形を切り取ると、残った長方形もまた黄金長方形になる
- 長辺を$a=\varphi b$とすると、正方形を切り取った後の残りの辺は$a-b=(\varphi-1)b=b/\varphi$となり
$$
\frac{b}{a-b} = \frac{b}{b/\varphi} = \varphi
$$- つまり元の長方形と相似な黄金長方形が再び現れる
- この操作を繰り返すと、入れ子状に小さくなる黄金長方形の列ができる。それぞれの正方形に四分円を内接させて繋げると、対数螺旋(黄金螺旋)に近似される曲線が得られる
- この自己相似性は、$\varphi^2=\varphi+1$という代数的な関係式が、幾何学的な図形の上でそのまま再現されたもの
正五角形とペンタグラムの中の黄金比
- 正五角形の対角線の長さと辺の長さの比は、ちょうど黄金比になる
- 正五角形の対角線を全て引くとペンタグラム(五芒星)ができ、その内部にまた一回り小さな正五角形が現れる
- このペンタグラムの中では、交差する線分の長さの比が至る所で黄金比になっており、内側の正五角形に対してさらにペンタグラムを描くと、同じ構造が無限に入れ子になる
- これも黄金長方形と同様、$\varphi$の自己相似な性質が、円や正五角形という古典的な図形の中に現れる例
3次元版の黄金比: プラスチック数
- 黄金比の自己相似な定義は、2乗ではなく3乗を使って一般化できる
$$
\rho = \sqrt[3]{1+\sqrt[3]{1+\sqrt[3]{1+\cdots}}}
$$$$
\rho = \sqrt[3]{1+\rho}
$$$$
\rho^3 = \rho + 1
$$- この正の実数解はプラスチック数(plastic constant)と呼ばれ、以下の値を持つ
$$
\rho \approx 1.324717957\ldots
$$- 黄金比が$\varphi^2=\varphi+1$であるのに対し、プラスチック数は$\rho^3=\rho+1$。同じ形の方程式の、次数だけが違う兄弟のような関係になっている
- 黄金比の背後にフィボナッチ数列があったように、プラスチック数の背後にはパドヴァン数列(Padovan数列)がある
$$
P_n = P_{n-2}+P_{n-3}
$$- パドヴァン数列の隣接項の比は、フィボナッチ数列が黄金比に収束するのと同じように、プラスチック数$\rho$に収束する
| - | 定義方程式 | 背後の数列 | 近似値 |
|---|
| 黄金比 | $x^2=x+1$ | フィボナッチ数列($F_n=F_{n-1}+F_{n-2}$) | $1.618\ldots$ |
| プラスチック数 | $x^3=x+1$ | パドヴァン数列($P_n=P_{n-2}+P_{n-3}$) | $1.325\ldots$ |
$x^n=x+1$という系列への一般化
- 黄金比とプラスチック数は、$x^n=x+1$という同じ形の方程式の$n=2,3$の場合と見なせる
- この系列は、次数を上げてそのまま続けられる
| $n$ | 方程式 | 正の実数解 |
|---|
| 2 | $x^2=x+1$ | $1.6180339887\ldots$(黄金比) |
| 3 | $x^3=x+1$ | $1.3247179572\ldots$(プラスチック数) |
| 4 | $x^4=x+1$ | $1.2207440846\ldots$ |
| 5 | $x^5=x+1$ | $1.1673039783\ldots$ |
- 黄金比・プラスチック数と同じように、これらも無限に入れ子になった$n$乗根として書ける
$$
\alpha = \sqrt[4]{1+\sqrt[4]{1+\sqrt[4]{1+\cdots}}}, \qquad \beta = \sqrt[5]{1+\sqrt[5]{1+\sqrt[5]{1+\cdots}}}
$$- 途中から先がまた自分自身に等しいことを使えば、$\alpha=\sqrt[4]{1+\alpha}$、$\beta=\sqrt[5]{1+\beta}$という関係がすぐ得られ、それぞれ4乗・5乗すれば元の方程式に戻る
対応する数列も一般化できる
- $n=2$では$a_n=a_{n-1}+a_{n-2}$(フィボナッチ)、$n=3$では$a_n=a_{n-2}+a_{n-3}$(パドヴァン)という対応があった
- 一般に、$x^n=x+1$という方程式に対応する数列の漸化式は、以下の形になる
$$
a_k = a_{k-(n-1)} + a_{k-n}
$$- $n=4$なら$a_k=a_{k-3}+a_{k-4}$、$n=5$なら$a_k=a_{k-4}+a_{k-5}$となり、$n$が増えるごとに参照する過去の項がそれぞれ1つずつ遠くなっていく、という規則的な拡張になっている
黄金比は、この系列が初めて解を持つ点
- $x^n=x+1$という系列を、$n$を下げる方向にも辿ってみる。$n=1$を代入すると
$$
x = x+1
$$- 両辺から$x$を引くと$0=1$となり、矛盾。つまり$n=1$には、そもそも解が存在しない
- 入れ子の無限根号で考えても同じことが起きる。$n=1$の場合、入れ子は
$$
1+1+1+1+\cdots
$$- という単なる無限の足し算になり、収束先を持たず発散してしまう
- $n=2$で初めて、この無限に入れ子になった構造が1つの値に収束し、意味のある解として黄金比が現れる
- つまり黄金比は、数ある単純な数の中の1つというより、$x^n=x+1$という系列が解を持つ最小の$n$そのものに当たる
- 「これより単純にできない」という性質を、連分数の形($[1;\overline1]$が最短)だけでなく、方程式の系列という別の角度からも確認できたことになる
Pisot数という観点で見える境界
- 黄金比とプラスチック数には、もう一つ共通する特別な性質がある。どちらもPisot数(Pisot–Vijayaraghavan数)と呼ばれる種類の代数的数である
- Pisot数とは、1より大きい代数的整数であって、その共役根(同じ最小多項式を満たす他の解)が、すべて絶対値1未満であるもの
- 黄金比$\varphi$の共役根は$(1-\sqrt5)/2\approx-0.618$で、絶対値は1未満。プラスチック数$\rho$の共役複素数根も、絶対値はおよそ0.87で1未満。実際、プラスチック数は知られている中で最小のPisot数であることが証明されている
- ところが$n=4$の方程式$x^4-x-1=0$では、様子が変わる。実根はもう一つ$-0.7246$付近にあり、残り2つは複素共役根になるが、その絶対値はおよそ$1.063$で、1を超えてしまう
- つまり$n=4$の解はもはやPisot数ではない。$n=2$(黄金比)・$n=3$(プラスチック数)まではPisot数という特別な性質が続くのに、$n=4$でその性質が途切れる
- 「同じ公式の次数を上げていけば、同じ美しさがずっと続く」と思いきや、$n=3$のあたりに代数的な性質の境界線がある、という点が面白い
周期を持つ連分数が作る数
- 黄金比の連分数は全ての項が1だったが、項の並びに周期を持たせると、また別の2次無理数が得られる
- 例えば、1と2を交互に繰り返す連分数を考える
$$
x = 1+\cfrac{1}{2+\cfrac{1}{1+\cfrac{1}{2+\cdots}}}
$$$$
x = 1+\frac{1}{2+\dfrac{1}{x}}
$$$$
2x^2-2x-1=0
$$$$
x = \frac{1+\sqrt{3}}{2} \approx 1.366
$$- つまり、無限に続く周期構造が、1つの平方根を含む値へと畳み込まれている。これは黄金比と同じ「連分数の周期性=二次無理数」というLagrangeの定理の、もう一つの具体例になっている
もう一つの一般化: k-bonacci数列との分岐
- 黄金比の一般化には、前述の$x^n=x+1$という系列とは別に、もう一つ自然な道筋がある
- フィボナッチ数列$a_n=a_{n-1}+a_{n-2}$は、直前の2項を足す数列だが、これを「直前の3項・4項・5項を足す」数列に拡張すると、Tribonacci・Tetranacci・Pentanacciと呼ばれる数列が得られる
- それぞれの数列の隣接項の比が収束する先は、次のような方程式の正の実数解になる
$$
x^2=x+1,\qquad x^3=x^2+x+1,\qquad x^4=x^3+x^2+x+1,\qquad x^5=x^4+x^3+x^2+x+1
$$| $n$ | 方程式 | 正の実数解 | 対応する数列 |
|---|
| 2 | $x^2=x+1$ | $1.618\ldots$ | フィボナッチ |
| 3 | $x^3=x^2+x+1$ | $1.839\ldots$ | トリボナッチ |
| 4 | $x^4=x^3+x^2+x+1$ | $1.928\ldots$ | テトラナッチ |
| 5 | $x^5=x^4+x^3+x^2+x+1$ | $1.966\ldots$ | ペンタナッチ |
- この系列の解は、足し合わせる項の数が増えるほど2に近づいていく。直感的には、直前の全ての項を足し合わせる数列の比は、ほぼ「毎回2倍になる」動きに近づくため
黄金比は2つの一般化が重なる分岐点
- ここで面白いのは、$x^n=x+1$の系列と、$x^n=x^{n-1}+\cdots+x+1$の系列は、$n=2$のときだけ完全に一致するという点
- $n=2$では、右辺の「$x^{n-1}+\cdots+x+1$」は単に「$x+1$」そのものになるため、2つの系列の方程式は同じ$x^2=x+1$に重なる
- しかし$n=3$になると、前者は$x^3=x+1$(プラスチック数)、後者は$x^3=x^2+x+1$(トリボナッチ定数)という、全く別の方程式に分かれる
- つまり黄金比は、2通りの自然な一般化がちょうど合流する、唯一の分岐点に位置する数と見なせる
$$
\text{黄金比}\ \longrightarrow\ \begin{cases}x^n=x+1 \text{ の系列(プラスチック数、Pisot数の境界)}\\ x^n=x^{n-1}+\cdots+1 \text{ の系列(Tribonacci以降)}\end{cases}
$$- どちらの系列を辿っても、出発点はいつも黄金比に戻ってくる。この「分岐点である」という構図自体が、4次・5次の個々の解の値そのものより、数学的には興味深い
もっと複雑な自己相似数を設計する
- 黄金比の強さは、自己相似性そのものではなく、連分数の項が全て1という「最小の情報量」で自己相似性を実現している点にある
- その制約を外し、あえてもう少し複雑な規則を使うと、黄金比より構造が豊かな数を設計できる
例えば、分母を$x$ではなく$x^2$にしてみる。
$$
x = 1+\frac{1}{x^2}
$$- 両辺に$x^2$を掛けると、次の3次方程式が得られる
$$
x^3 = x^2+1
$$- この正の実数解は、スーパー黄金比(supergolden ratio)と呼ばれることがあり、近似値は以下の通り
$$
x \approx 1.465571231\ldots
$$- 別の方向として、$x$とその逆数$1/x$を両方とも式の中に組み込み、自分自身との双対性$x\leftrightarrow1/x$を持たせることもできる
$$
x = 1+\cfrac{1}{x+\cfrac{1}{x}}
$$$$
x(x^2+1) = (x^2+1)+x \ \Longrightarrow\ x^3=x^2+1
$$- 構成の仕方は全く異なるにもかかわらず、先ほどの$x=1+1/x^2$と全く同じ3次方程式に帰着する。入れ方の違う自己相似な規則が、同じ代数的な構造に合流する例
黄金比の本当の強さ: 複雑さではなく最小性
- ここまで見てきたように、黄金比より複雑で豊かな構造を持つ数は、いくらでも設計できる。次数を上げる(プラスチック数)、周期を持たせる、双対性を加える、といった方向はどれも可能
- しかし逆方向、つまり黄金比より単純な規則で、同じくらい豊かな構造を持つ数を作ることはほぼできない
- 黄金比の連分数$[1;\overline1]$は、使える記号が「1」しかないという、これ以上削れない極限の単純さにある
- つまり黄金比の本当の強さは、「最も複雑なもの」ではなく、「これより単純にはできない」という、単純さの側の極限に位置していること
- 黄金比を超える数を新しく設計するとしたら、連分数の項を複雑にする方向よりも、今回の$x=1+1/(x+1/x)$のように、自己相似性を複数の方向(自分自身と逆数など)に同時に持たせる方向の方が、まだ名前のない面白い構造にたどり着きやすいかもしれない
3つの独立した最小性
- ここまでに見てきた黄金比の特異性は、互いに独立な3つの角度から、同じ「最小性」という一点に集約される
$$
\boxed{\text{連分数の最短性}+\text{方程式の最小性}+\text{近似不可能性の極限}}
$$- 連分数の最短性: 無限連分数の中で、使う記号が「1」だけという、これ以上削れない最も単純な形$[1;\overline1]$を持つ
- 方程式の最小性: $x^n=x+1$という系列の中で、解が初めて存在する最小の$n=2$に位置する($n=1$には解がない)
- 近似不可能性の極限: 有理数による近似の誤差の下限を定めるHurwitzの定数$\sqrt5$を、唯一改善できない形で達成する無理数である
- この3つは、連分数論・代数方程式・ディオファントス近似という別々の数学の文脈から独立に導かれたものでありながら、同じ$\varphi$という一点に合流する。黄金比の美しさの核心は、おそらくこの「別々の最小性が、たった1つの数の中で一致している」という点にある
まとめ
- 黄金比$\varphi=(1+\sqrt5)/2$は、$\varphi^2=\varphi+1$という最も単純な2次方程式から導かれる数
- 連分数で表すと全ての項が1になる、最も単純な連分数を持つ無理数で、その尻尾を切っても再び黄金比が現れるという自己相似性を持つ
- 連分数を途中で打ち切った収束値は、分子・分母にフィボナッチ数が並ぶ最良の有理数近似であり、Binetの公式を通じて正確に結びついている
- 連分数が周期的になることと二次無理数であることは同値(Lagrangeの定理)で、黄金比はその周期が最も単純(1のみ)な極限的な数。その裏返しとして、有理数による近似が理論上最も難しい「最も無理数らしい無理数」でもある
- 黄金長方形は正方形を切り取っても相似な黄金長方形が残るという自己相似性を持ち、正五角形・ペンタグラムの中にも同じ比が入れ子状に現れる
- 同じ自己相似の定義を3乗に一般化するとプラスチック数($\rho^3=\rho+1$、背後にパドヴァン数列)が、周期を持つ連分数を使うと$(1+\sqrt3)/2$のような別の2次無理数が得られ、さらに規則を複雑にすれば$x^3=x^2+1$のスーパー黄金比のような、より豊かな構造を持つ数も設計できる
- $x^n=x+1$という系列では、$n=1$に解が存在せず、$n=2$で初めて解(黄金比)が現れる。さらに黄金比・プラスチック数まではPisot数という特別な性質を持つが、$n=4$でその性質が途切れる。一方$x^n=x^{n-1}+\cdots+1$という系列ではTribonacci以降の定数が得られ、黄金比は両方の系列がちょうど一致する唯一の分岐点にあたる
- しかし黄金比より単純な規則で同じくらい豊かな構造を持つ数は作れない。黄金比の本当の強さは、複雑さではなく、連分数の最短性・方程式の最小性・近似不可能性の極限という、独立した3つの角度から同時に成り立つ最小性にある
- こうした性質はいずれも、$\varphi^2=\varphi+1$という単一の代数的関係から導かれており、黄金比が持つ数学的な特異性は、見た目の美しさの主張とは独立に、それ自体として成り立っている
参考文献