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究極の疑問「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の答え

目次

背景

次の、良いツイートを見たのでまとめる気になった。

I’m starting to believe that there is no simulation. There is no creator of any kind. Existence has its own energy. It’s completely self-contained. It’s the only thing that is truly self contained, without a start or an end in time or space.

If you believe in simulation theory, or any kind of creator really, what entity created them?

It’s turtles all the way down.

At some point, you have to confront the absurdity of the notion a creator, and realize that the infinite regress doesn’t solve anything - it just postpones the fundamental question. If a creator can exist without being created, why can’t existence itself have that same property?

Existence has always been here, self-sufficient and uncaused.

Existence is the ONLY thing that needs no explanation beyond itself. Existence simply IS, with its own intrinsic properties and energy, requiring nothing external to sustain it or provide a purpose for it.

And if you believe in a creator, you likely are implicitly accepting that this applies to the creator instead of existence itself.

@jasondebolt

これについてAIと自分の意見をMixして考えてみた。

究極の疑問とは

  • 「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか(Why is there something rather than nothing?)」は、ライプニッツが1714年の『自然と恩寵の原理』で明示的に立てた問い
  • あらゆる存在・世界に対する、最も根源的な問いとされている
  • 皮肉なことに、ライプニッツ自身の答えはこのツイートとは逆で、後述する「十分理由律」を突き詰めた末に「必然的存在=神」に行き着くというものだった

Turtles all the way down(無限後退)

  • この究極の疑問を突き詰めると、結局は"Turtles all the way down"という話に行き着く
  • 亀(World Turtle)が地面を支え、その亀もまた別の亀の上に乗っている、というのが無限に続くという逸話
  • つまり「無限後退(infinite regress)」の問題(「Aの説明はBで、Bの説明はCで…」と説明が終わらず続く状態。「AだからB、BだからC、CだからA」と輪になって戻ってくる循環論法とは別物)
  • 「なぜ」の後には「ではそれはなぜ」が続くだけで、説明が終わらない
  • 存在を作った神を仮定しても、「その神を作ったのは誰か」という同じ問いがそのまま繰り返されるだけ
  • 神を「創造されずに存在できるもの」として特別扱いするなら、逆説的に、存在自体にも同じ特別扱いを認めない理由がない、というのがツイートの核心的な指摘

World Turtle

伝統的な宇宙論的論証との対比

  • ただし、これだけで神の存在を論破したことにはならない。伝統的な宇宙論的論証(cosmological argument)は、そもそも「すべてのものには原因がある」とは主張していない
  • より正確には「**偶然的に存在するもの(contingent)**には説明が必要だが、**必然的存在(necessary being)**にはそれ以上の説明を必要としない」という形を取る
  • だから有神論者は「神は必然的存在、宇宙は偶然的存在」と答える
  • すると本当の争点は「なぜ神だけを必然的存在にしてよいのか。宇宙・存在・物理法則そのものを必然的存在としてはいけないのか」という点に移る
  • 興味深いことに、神学の立場(“God simply is.")とツイートの立場(“Existence simply is.")は構造的にはよく似ている。両者とも最終的に「これ以上説明を要求しないもの」を一つ置いており、違いはそれを人格的な神に置くか、存在そのものに置くかだけ

「存在は自己充足的」は証明ではなく、最も節約的な選択

  • 「Existence is the ONLY thing that needs no explanation beyond itself」という主張は、論証として見ると「なぜ存在があるのか」に対して「存在はそういうものだから」と答えているに過ぎず、いわゆる**brute fact(裸の事実)**を採用したことになる
  • それ自体は立派な哲学的立場だが、「存在が自己充足的だと証明された」わけではない
  • 正確に言うなら「説明の無限後退をどこかで止めるなら、神を挟まず存在そのものをbrute factにするほうが、仮定する存在が一つ少なく、オッカムの剃刀的に節約的ではないか」という位置づけ
  • 一方で、ツイートにある「Existence has its own energy」という表現は取り扱いに注意が必要。「エネルギー」は物理学では具体的な物理量を指す言葉であり、存在そのものにそれを持ち出すのはカテゴリー錯誤に近い。ここは比喩・レトリックとして読むのが適切

メタ的な疑問:なぜ人はその疑問を持つのか

ここでさらに一段メタに、「なぜ人は『なぜ何もないのではなく…』という疑問をそもそも持つのか」を考える。

人間の認知は「局所的な因果」を世界全体に適用してしまう

  • 机の上にあったコップは、朝起きても机の上にある。人はそれを見て「誰かがそこに置いたからだ」と考える
  • 家には建てた人がいる、時計には作った人がいる、というように、身の回りの物には必ず「作った人・原因」がいるという経験を積み重ねている
  • この、宇宙の内部にある個々の対象に対して成り立つ因果性を、宇宙全体という枠組みそのものにまで適用してしまうのが、人間の認知の癖
  • これはライプニッツの言う「十分理由律(principle of sufficient reason)」——「あらゆる事実には、それがそうである理由があるはずだ」という直観そのものでもある
  • つまりこの疑問を生んでいる根っこは、人間が自分を特別視することよりも、「説明を求める本能」「局所的な因果モデルを全体に拡張してしまう癖」にあると考えたほうが筋が良い

人間の特別視バイアスも一因ではある

  • 動物の食べ物は「餌」と呼ぶのに、人間の食べるものは「料理」と呼ぶ。人間を動物に例えると侮辱的に響く(「犬野郎」など)
  • こうした区別の根底には「人間は特別な存在だ」という前提があり、「自分を特別だと認識し、その特別さには理由があると仮定する」思考パターンが、疑問を後押しする一因にはなっている
  • ただしこれは主因ではない。この疑問は「なぜ“我々”が存在するのか」だけでなく、「なぜ電子も、宇宙も、数学的構造も、何もかも存在しない状態ではないのか」という、人類の存在とは無関係にも成立する、よりラディカルな形でも問える

観測者選択効果が効く範囲・効かない範囲

  • 地球がハビタブルゾーンにあることも、月が地球の周りを回っていることも、かつては「特別な配置」だと考えられていた
  • しかし「なぜ我々は生命が存在可能な宇宙・場所にいるのか」という問いには、観測者選択効果(observer selection effect)/弱い人間原理がよく効く。生命が存在できない宇宙・場所では、そもそもその疑問を持つ観測者自体が存在しないから
  • これは、生存確率100万分の1のゲームで生き残った1人が「なぜ自分は生き残れたんだ、奇跡だ」と驚くようなもの。死んだ99万9999人は最初から問うことができない(サバイバーシップ・バイアス)
  • ただし、観測者選択効果が説明できるのは「なぜ“この”条件(宇宙・場所・時代)を観測しているのか」であって、「なぜ観測可能なものを含めて、そもそも何かが存在するのか」までは説明しない。この2つの問いは切り分ける必要がある
  • 仮に万物の理論(ToE)が完成しても、そこからマルチバースが必然的に導かれるわけではなく、また仮にマルチバースが正しくても「なぜこの宇宙なのか」は説明できても「なぜマルチバースそのものが存在するのか」という同じ形の問いが復活する。ここでまた亀が一段追加されるだけ

結論:問いの形が変わる

究極の疑問に対する現実的な選択肢は、大きく4つに整理できる。

  1. Brute fact:何かが存在することに理由はなく、存在はただ存在する
  2. Necessary existence:「無」より「何か」が形而上学的に必然である(神という答えもこの一種)
  3. Infinite regress:説明に最終地点はなく、永遠に説明が続く
  4. Question is malformed:「完全な無」がそもそも可能だという前提自体がおかしく、「なぜ無ではない?」という問いが成立しない

ツイートの立場は①と②の中間くらいに位置する。ここから言えるのは、「究極の疑問には答えがない」ということではなく、「あらゆる事物には理由があるはずだ」という我々の直観そのものが、究極のレベルでは成り立たない可能性がある、ということ。

つまりこの問いを突き詰めると、答えそのものよりも「そもそも“説明”とは何か」という、一段別の問いに姿を変えるということ。

まとめ

  • 究極の疑問「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」は、突き詰めると無限後退(Turtles all the way down)に行き着く
  • 創造主を仮定しても、その創造主の起源を問う同じ疑問が繰り返されるだけで、何も解決しない
  • 伝統的な宇宙論的論証は「神は必然的存在、宇宙は偶然的存在」で無限後退を止めるが、「なぜ神だけが必然的でよいのか」という同じ形の問いが残る
  • 「存在は自己充足的」という立場は、証明された結論というより、神を挟まない分オッカムの剃刀的に節約的な、一つのbrute factの選び方
  • この疑問自体は、人間が局所的な因果モデル(十分理由律の直観)を世界全体に拡張してしまうことから生まれており、人間の特別視バイアスはその一因に過ぎない
  • 観測者選択効果・サバイバーシップバイアスは「なぜこの宇宙・条件にいるのか」を説明できても、「なぜそもそも何かが存在するのか」までは説明しない
  • 最終的に、この問いはBrute fact/必然的存在/無限後退/問い自体の誤りという4択に帰着し、「答えがない」というより「説明とは何か」という一段メタな問いに姿を変える
  • (ちなみに、銀河ヒッチハイクガイドだと42が答えとなっている)

参考文献

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