目次
背景
- 「Extropyの理解」という記事で、Max Moreらが刊行した雑誌『Extropy』の思想内容を整理した
- そこで扱いきれなかったのが、雑誌を支えたコミュニティそのもの、いわゆるエクストロピアン(Extropians)
- 90年代のメーリングリストを中心に集まった人々で、後の暗号技術・予測市場・AI安全性・合理主義コミュニティに影響を与えたとされる
- ここでは、その人物・コミュニティの実像を、裏取りできる範囲で整理した
エクストロピアンとは何か
- Extropy Instituteが1990年代に開設したメーリングリスト(Extropians、後のExtropy-chat)に集まった人々を指す
- 老化克服・AI・人体拡張・ナノテクノロジー・宇宙進出・自由市場・分散型社会などを強く志向する、テクノ楽観主義寄りのトランスヒューマニズムの一派
- 単なる読者コミュニティではなく、雑誌『Extropy』の議論の延長線上で、思想・技術・政治を横断する議論の場になっていた
先駆者としてのFM-2030
- 本名Fereidoun M. Esfandiary(1930-2000)、イラン系アメリカ人の作家・未来学者
- 1970年代半ばに、自身が100歳になる年と「Future Man」等を組み合わせた「FM-2030」に改名
- 1989年の著書
Are You a Transhuman?で知られ、現代のトランスヒューマニズム運動のルーツの1つとされる - 自己の身体をサイボーグ化することを提唱し、将来的に人間が「post-biological」な存在になると考えていた
- 2000年に膵臓癌で死去し、Alcor Life Extension Foundationで冷凍保存された。この時、単純な凍結ではなくガラス化(vitrification)で保存された最初の患者となった
- ただし、FM-2030がExtropy InstituteやExtropiansメーリングリストに直接参加していたことを示す記録は見つかっておらず、Max Moreらのエクストロピアニズムとは独立した、より広いトランスヒューマニズムの先駆者として位置づけるのが正確
中心人物(Extropy Institute関係者)
雑誌・Instituteの運営に直接関わった3人について、詳しく見る。
Max More

- 本名はMax T. O’Connor、1964年1月生まれの哲学者・未来学者
- Tom Bellと共に1988年に雑誌『Extropy』を創刊し、Extropy Instituteを共同設立
- 1990年の論考「Transhumanism: Toward a Futurist Philosophy」で、「トランスヒューマニズム」という語を現代的な意味で初めて使用
- Extropian Principlesを体系化し、後年は「Proactionary Principle(積極主義原則)」という独自の考え方も提唱
- 1986年、オックスフォード大学在学中にAlcor Life Extension Foundation(低温保存を行う団体)の会員になる
- 2011年から2020年までAlcorの社長兼CEOを務め、2020年から2023年までAmbassador・President Emeritusを務めた
Tom W. Bell

- Max Moreと共に1988年に『Extropy』誌・エクストロピアニズムを共同創設
- 「extropy」という語そのものを実際に作った人物とされる(Max More自身がそう認めている)
- 1993年にシカゴ大学ロースクールでJ.D.を取得
- 1998年からChapman University Fowler School of Lawの教員
- 専門は特別法域(Special Jurisdictions)・著作権・インターネット法・予測市場・修正第3条など
- 著書に
Intellectual Privilege: Copyright, Common Law, and the Common Good(2014年)
Natasha Vita-More

- 1950年2月22日、ニューヨーク州ブロンクスビル生まれのアメリカ人ストラテジックデザイナー
- 1973年に美術学士号を取得後、1977年にイタリア・ラヴェンナのAccademia di Belle Artiで学ぶ
- 1983年に「Transhuman Statement(Manifesto)」を執筆し、トランスヒューマニズム運動の共同創始者の1人とされる
- Extropy Institute後期の代表格を務めた
- 1996年、Marvin Minsky(AI)・Hans Moravec(ロボティクス)・Ralph Merkle(ナノテクノロジー)らと共に、身体拡張の未来デザイン「Primo Posthuman」を発表
- 現在はHumanity+(トランスヒューマニズム団体、Extropy Institute解散後の後継的存在の1つ)のExecutive Director
- 2015年には、線虫(C. elegans)の低温保存後も長期記憶が保持されることを示す研究にも関わった
メーリングリストの参加者
- Extropiansメーリングリストは約8年間で13万通・2,000人以上の投稿者が参加した記録が残っている
- アーカイブを解析した調査によると、以下の人物が実際に投稿していたことが確認できる
- Hal Finney(後のBitcoin開発初期の中心人物の1人)
- Nick Szabo(スマートコントラクトの提唱者)
- Wei Dai(b-moneyの考案者)
- Robin Hanson(予測市場の研究者)
- Nick Bostrom(実存リスク研究者)
- Eliezer Yudkowsky(AIアラインメント研究者)
- Eric Drexler(分子ナノテクノロジー提唱者)
- Marvin Minsky(AI研究者)
- Ray Kurzweil(未来学者)
- Julian Assange(後のWikiLeaks創設者)
ここで注意したいのは、これらの人物が「メーリングリストに投稿していた」という記録と、「エクストロピアニズムに思想的に深くコミットしていた」ことは別問題という点。特にAssangeについては、Cypherpunksメーリングリストへの参加は複数の独立した情報源で裏付けが取れる一方、Extropiansへの参加は今回参照したアーカイブ解析が根拠の中心で、他の独立した情報源では確認できていない。
サイファーパンク・暗号通貨への系譜
Extropiansメーリングリストでは、暗号技術に関するかなり専門的な議論も交わされていた。
- Hal Finneyは初期のPGP開発にも関わった人物で、エクストロピアニズムと低温保存(cryonics)に強い関心を持っていた
- Nick SzaboはBit Gold、Wei DaiはB-Moneyという、いずれもProof of Workに基づくデジタル通貨案を提唱
- この2つの提案は、後のBitcoinの設計に直接的な影響を与えたとされる
- Finney自身も2004年にRPOW(Reusable Proofs of Work)というシステムを発表しており、Hashcashを応用した譲渡可能なデジタルトークンを実現していた
- Finney・Szabo・Wei Daiの3人は、いずれもSatoshi Nakamoto(Bitcoinの匿名の考案者)ではないかと噂されたことがある人物でもある
つまり、暗号技術・デジタル通貨に関する重要なアイデアの少なくとも一部は、Extropiansというコミュニティの中で技術的な議論として育まれていたことになる。
Extropy Instituteの終焉とその後
- Extropy Instituteは1989年に設立され、1990年に501(c)(3)非営利団体として法人化
- 2006年、理事会が「使命はおおむね達成された」として、組織の解散を決定
- 17年間の活動を経て、トランスヒューマニズム運動の草分け的組織が幕を閉じた
解散後、コミュニティやその思想がそのまま消えたわけではなく、いくつかの後継的な流れに分散・吸収されていったと見られる。
- Natasha Vita-MoreがExecutive Directorを務めるHumanity+(旧World Transhumanist Association)が、トランスヒューマニズム運動の看板を引き継ぐ形になった
- メーリングリスト参加者の一部(特に10代でリストに参加していたEliezer Yudkowsky)が、後述する合理主義コミュニティの母体を作った
- Max More自身はAlcor Life Extension Foundationへ活動の軸足を移した
現代への影響
Extropiansメーリングリストは、後の複数のオンライン知的コミュニティの源流の1つになったとされる。
- 10代でExtropiansに参加したEliezer Yudkowskyは、後に2009年、合理性を追求するコミュニティブログ「LessWrong」を創設
- LessWrongは、主流のメディアがAGI(汎用人工知能)を真剣に扱う以前から、AIのリスクを議論する場になっていた
- Nick Bostrom(後に
Superintelligenceを執筆し、Future of Humanity Instituteを設立)、Robin Hanson(予測市場研究)、DeepMind共同創業者のShane Leggなど、当時Extropiansで活動していた人々が、それぞれAI・実存リスク・効果的利他主義・合理主義コミュニティで中心的な役割を果たしていった - 一方で、Hal Finney・Nick Szabo・Wei Daiのように暗号通貨の方向へ進んだ人々もおり、思想的な系譜としては単純な一本道ではなく、複数の分野へ枝分かれしていった
まとめると、90年代のExtropiansというメーリングリストは、後のAI安全性・実存リスク研究・効果的利他主義・合理主義コミュニティ・暗号通貨という、一見バラバラに見える複数の現代的な潮流に、共通の源流を提供したコミュニティだったといえる。
Extropyから派生した思考・関連概念
エクストロピアニズムは、後に分化・発展した複数の思想潮流のルーツの1つになっている。関連する概念を整理しておく。
シンギュラリタリアニズム(Singularitarianism)
- シンギュラリティ(技術的特異点): AIなどの先端技術が指数関数的に進化し、人間の知能や理解力を超える転換点を指す概念
- 数学者・SF作家のVernor Vingeが1993年の論文でこの概念を広く知られるようにした
- シンギュラリタリアニズムは、このシンギュラリティの到来を予測し、それに備えるべきだとする立場
- Ray Kurzweilがこの概念を一般に広めた代表的な人物
Plurality(プルラリティ)
- 台湾のデジタル担当政務委員を務めたAudrey TangがE. Glen Weylと共著した
Pluralityで提示した概念 - Tang自身の「シンギュラリティが近いと聞いたら、プルラリティはすでにここにある、と思い出そう」という言葉の通り、シンギュラリティと対比される形で語られる
- 技術的特異点という単一の収束点に向かうのではなく、多様な未来に向けて技術を活用するという発想
- 暗号通貨に由来する分散技術や、台湾の市民科技コミュニティg0vのような分散型ガバナンス、オープンソースとコラボレーションの思想が根底にある
Cybernetics(サイバネティクス)
- 人間と機械からなるシステムにおける、制御と通信を扱う学際的な科学
- Extropianの多くが関心を持っていた分野の1つで、「人間を情報処理システムとして捉える」という発想の土台になっている
効果的利他主義とe/acc
- 効果的利他主義(Effective Altruism, EA)
- 根拠と理性に基づいて、他人のためになる行動を効果が最大になるように選ぶことを提唱する運動
- 効果的加速主義(e/acc)
- 技術革新、特にAIによって推進される加速こそが、貧困・戦争・気候変動といった人類の課題を解決する手段になるという立場
- EAとは異なり、AI開発を減速させるより加速させることを志向する
TESCREAL
- 計算機科学者Timnit Gebruと哲学者Émile P. Torresが2023年に提唱した造語で、以下7つの思想をひとまとめにしたもの
- Transhumanism(トランスヒューマニズム)
- Extropianism(エクストロピアニズム)
- Singularitarianism(シンギュラリタリアニズム)
- Cosmism(宇宙主義)
- Rationalism(合理主義)
- Effective Altruism(効果的利他主義)
- Longtermism(長期主義)
- GebruとTorresは、これらを20世紀の優生学に起源を持つ、相互に重なり合った1つの思想の束として批判的に捉えている
Cryonics・Longtermismについて
- Cryonics(人体冷凍保存)については、別記事「冷凍保存技術とInformation-Theoretic Death」で詳しく扱った
- Longtermism(長期主義)については、別記事「Longtermismと個人のインパクトの計算」で詳しく扱った
まとめ
- エクストロピアンは、Extropy Instituteのメーリングリストに集まった、テクノ楽観主義寄りのトランスヒューマニストのコミュニティ
- 中心人物はMax More・Tom W. Bell・Natasha Vita-Moreの3人
- メーリングリストには、後に暗号通貨(Hal Finney・Nick Szabo・Wei Dai)やAI安全性・合理主義コミュニティ(Nick Bostrom・Eliezer Yudkowsky)で活躍する人々が参加していた
- ただし「参加していた」という記録と「思想に深くコミットしていた」ことは別物で、特に周辺的な人物についての記述は慎重に扱う必要がある
- Extropy Instituteは2006年に解散したが、その思想やコミュニティはHumanity+・合理主義コミュニティ・暗号通貨業界など、複数の現代的な潮流に分散して受け継がれていった
参考文献
- FM-2030 - Wikipedia
- TESCREAL - Wikipedia
- Plurality.net
- Audrey Tang: “the plurality is here” - The Alternative
- Max More - Wikipedia
- Tom W. Bell - H+Pedia
- Natasha Vita-More - Wikipedia
- Extropy Institute Closes - Reason
- Extropianism - H+Pedia
- An interactive version of the extropians mailing list - LessWrong
- A Double-Feature on The Extropians - LessWrong
- The Extropian Roots of Bitcoin - CCN
- 写真: Max More, Stanford 2006(撮影者: null0、CC BY-SA 2.0)
- 写真: Natasha Vita-More(撮影: Humanity+、CC BY 2.0)
